Non Duality~非二元性~

こんにちは、小田です。
「ノンデュアリティ(非二元)」という言葉、聞き慣れない方も多いと思います。
でもこれは、哲学的な話にとどまらず、日々の働き方や自分自身の見方に深く関係する概念です。
そもそもノンデュアリティとは?
ノンデュアリティとは、「自分と他人」「内と外」「成功と失敗」といった二元的な分離は、本質的には存在しないという考え方です。
例えば…
•「わたしが頑張っている」
•「あの人が間違っている」
•「これは正しく、あれは間違い」
こういった日常の判断や認識は、すべて「分ける」前提に立っています。
でも、ノンデュアリティ的にはこう言います。
「あなた」という存在も、「わたし」も、実はただの思考・物語に過ぎない。
「わたし」とは概念である
ある日ふと、
「“自分”って、どこにあるんだろう?」と考えてみたことがあります。
•頭?→それは脳。
•心?→それは感情。
•肉体?→それはただの生物的システム。
•名前?→ラベルにすぎない。
•経歴?→過去の出来事の記録。
……あれ?
「わたし」って... なに?
ノンデュアリティでは、こうした「わたし」という感覚そのものが、思考の産物であり、実体は存在しないとされます。
「わたし」は、ただのラベル、現象の集合にすぎない。
なぜそんなことを仕事で考えるの?
それは、仕事におけるストレスや葛藤の多くが、
•「わたしが正しい」
•「わたしが評価されたい」
•「わたしが責められた」
•「わたしが損した」
という「わたし」前提のストーリーから生まれているからです。
でも、もしこの「わたし」が、ただの仮想だとしたら?
感情がわき起こっても、
「あぁ、これは“わたし”という物語が作り出したものだな」と
一歩引いて眺めることができます。
それは、判断せずに観るという姿勢でもあり、
そもそも悩んでいる「わたし」は実在していません。
ノンデュアリティ的な仕事の捉え方
・上司に怒られた → 言葉や感情が通り過ぎていく現象として観察
・誰かと対立した → 「私 vs あの人」ではなく、「そういう状況が起きている」だけ
・失敗した → 自分を責める代わりに、「起こるべくして起きた流れ」と見る
「私」が消えたとき、本当の流れが始まります。
「私」を守ることに集中していたとき、思考は狭く、世界は小さかったことに気づきます。
でも、「私という枠」が薄れてくると、不思議なことに
•会話が自然になる
•仕事のリズムが整う
•緊張がやわらぎ、ミスが減る
つまり、「わたし」を主張しなくても、うまくいくことが分かります。
心配しなくてもいつも体は自動的に動いています。
「わたし」という感覚に、少し距離を置いてみることで、
不思議と肩の力が抜けて、流れの中に軽やかに乗れるようになるかもしれません。